2023年9月13日、加藤鮎子さんがこども政策担当大臣として第二次岸田再改造内閣に初入閣しました。
加藤鮎子さんの両親が一体どんな方なのか気になりますよね。
今回は加藤鮎子こども政策担当大臣の母親と父親について調査しました。
加藤鮎子の母親・愛子の顔画像
加藤鮎子こども政策担当大臣の母親・愛子さんの顔画像はこちらです。
夫である加藤紘一さんの葬儀で、喪主をつとめた時の画像です。
左には当時の首相である、葬儀委員長の安倍晋三さんがいます。
愛子さんはとても綺麗な方ですよね。
娘である加藤鮎子さんも綺麗な方なので、母親に似たのかもしれませんね。
加藤鮎子の母親・愛子の年齢プロフィール
加藤鮎子さんの母親・愛子さんのプロフィールです。
名前:加藤愛子
読み方:かとう あいこ
旧姓:杉浦
出身地:群馬県高崎市
加藤愛子さんは、群馬県高崎市出身です。
中曽根康弘元首相の娘と幼馴染だったそうです。
すごいですよね!
愛子さんは幼い頃に父親を亡くしています。
結婚式では中曽根康弘元首相が愛子さんの父親代わりに出席していたという素敵なエピソードがあります。
中曽根康弘元首相とはかなり親しかったようですね。
加藤鮎子の父は元衆議院議員の「加藤紘一」
加藤鮎子さんの父であり、愛子さんの夫である人物は、元衆議院議員の「加藤紘一」さんです。
加藤紘一さんは1972年に衆議院議員に初当選し、
- 防衛庁長官
- 内閣官房長官
などの重要なポジションを歴任していました。
愛子さんとは1967年に結婚しました。
加藤紘一さんは2016年9月9日、77歳で亡くなっています。
葬儀は加藤家と自民党の合同で行われ、喪主は愛子さんでした。
愛子さんの喪主挨拶の内容です。
本日はお忙しい中、たくさんの皆様のご参列により、無事、主人を送り出すことができることを大変ありがたく、感謝申し上げます。
夫はこの世に生を受け、77年と84日目の9月9日午前0時45分、静かに黄泉の国へ旅立ちました。
これまで長きにわたりお世話になりました各方面の皆様方に、深く深く、心より御礼を申し上げます。
夫は人と交わり、社会や政治を論じ、歌を歌い、飲み交わすことをこよなく愛しておりましたが、それよりもっと、もっと熱心だったのは、勉強と研究ではなかったかと、最近家族は再認識しているところでございました。
闘病中、丹念に切り抜いた印刷物が残っておりますが、国際情勢をはじめこれと思う活字のあれこれを材料として、10年後20年後の大きな世の中の流れを思い描いては、その考えを詰め続けていたことに、家族は強く胸を撃たれました。
もう少し、体をいたわってくれたらと悔やむことも多々ございますが、ひとたびやりたいと思ったことにまい進する姿勢は、全く変わることなく、とうとう、病魔に負けてしまいました。
私たち家族は、9月9日の亡くなる時間まで、この姿勢を貫いたことを見届け、これが夫、父の生き方であると納得するほかありません。
しかし、思う存分生きたと思います。
この先は、4人の子供とその家族たちと、夫の亡くなりましたことを一日も早く受け入れて、しっかりと歩んで参りたいと存じます。
至らぬ家族ではございますが、皆様には今後とも、変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう、心よりお願いたします。
最後になりましたが、本日ご参列の皆様に深く深く、感謝の気持ちをお伝えさせていただきたいと思います。
つたないご挨拶でございますが、どうぞ皆様、今後ともよろしくお願いいたします。 大変お忙しい中、ありがとうございました。
愛子さんは、加藤紘一さんが世の中をよくしようと熱心に仕事に励まれていたことを話されていました。
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